ここ10年は産業時代から情報時代にパラダイム転換している最中だなんていう言葉を色々なところで聞きます。
そう、国も会社も中央集権型ではなく分権型にしたほうがよい、しなければいけない。これが時代の流れのように思えます。


稀代の投資家ジム・ロジャースも「人はコントロールの利かないものより、自分で理解できてコントロールできるものを求めている」とありました。
要はロシアの崩壊、今後の中国の動向に注目です。最近読んでいるマイケル・デルのダイレクトモデルの書籍の中でもやはり同じようなことが書かれています。
最近のIT関連の会社などを中心に上司も部下も勤務年数もあまり上下関係には関係がない風潮が広まっています。僕はこれでいいんじゃないかとただそうなった原因を考えずに漠然と思っていましたが、最近こういった風潮になってきた原因がはっきりとわかりました。
なぜか?20世紀までの産業時代の国や会社の組織構造では日本の終身雇用という概念を代表に、こつこつとその組織で積み上げたキャリアや立場が定年まで使えるものであったし、戦後の経済成長と共にこの概念は浸透していきました。(こんなやり方はシステムでも考えでもないので概念と呼んでみまっす)そしてたかだか数十年間はそのシステムでうまく回りました。
しかーし産業構造の根本が変わり長年無駄飯を食ってきた人よりも、若かろうが少々社交性がなかろうが他社に負けない技術なりを持った者を求めるようになったのです。
なんでまた?それが人類のニーズだからなのです。インターネットが普及してほしいものをほしいときにほしいだけという願望が叶えるようになってきたからなのです。
結局会社が存在できるのはお客様ありきです。お客がそういった考えになてきたのならばそのニーズに応えられなければ企業は生き残れません。
一例で言えば、自社の製品を今まで一つ一つ売っていたのに、最近のお客はパーツパーツでほしがるようになったから、そのシステムの開発を急がなければ他社に差別化をつけられない。
そして自社なりアウトソーシングなりでプログラム部隊等が必要になります。プログラムなどの極めて細分化されて特化された技術は自社の新人を研修期間を設けて教育しただけでは全くもって追いつきません。そうすると必然的に先のように絶対的な技術を持った人間が必要になり、その者を得るには従来の官僚型年功序列方式は無視しざるをえません。それが生き残りのためだから。
という過程で20世紀を代表する、西武王国の堤会長や財閥スタイルのやり方ではグローバル化する世の中にあっという間に出し抜かれます。
そんな過程を経て上司面した絶対的な先輩という文化はどんどんこの国でも薄れていくでしょう。
話しが長くなりましたがそんな流れを含めつつあえて逆流するようですが新訳 君主論を読んでみようかなと。
絶対君主的な考え方は古臭いと僕も思うのですがなぜかこれは読まなければいけない気がして3ヶ月弱。
買っちゃいました~
ちなみに2千年ほど前の中国の「項羽と劉邦」。昔話ですがこの辺りの話しのいい例でオラオラ系で絶対君主タイプの項羽は一度は天下を治めたかのように見えましたが、そのやり方に人々は納得せず戦も弱ければ頭も弱いちょいと親分肌の劉邦に敗れました。でも劉邦は自分にはこれという能力はないけれど、内政に優れた蒋何、外交に強い張良、そして国士無双の韓信をうまく使いこなして天下を取り治めたのです。  んーすごいにゃ。
項劉記関連語句:四面楚歌、左遷、背水の陣